棚井文雄

ニューヨーク物語29「駄菓子屋とおもてなし」

ニューヨーク物語29 「駄菓子屋とおもてなし」

 先日、某デパートに店舗を構えるメガネ店に、母の“リーディンググラス”を作りに行った。いわゆる老眼鏡のことだが、近年はパソコンやスマートフォンの長時間使用による若年層の老眼が急増しているようで、英語表記にすることでとても馴染み易いイメージになったと思う。
 事前にウェブサイトで商品と価格を調べ、本社にも品揃えを確認するなど、母を連れて何件ものメガネ店を見て回らなくても済むように慎重に店を選んだ。渡邊さんという方が担当になり、すぐに検眼がはじまった。僕は検眼機に近いシートに座り聞き耳を立てていたが、丁寧な説明と、母の話にもきちんと受け答えをしてくれている様子に、ホッとした。学校の健康診断によって、小学生の頃からメガネを掛ける羽目になってしまった僕は、これまでにかなりの数の眼科医やメガネ・コンタクトレンズ店を訪れた経験があり、そこでたびたび残念な思いをしてきたからだ。フレーム選びの際にも、渡邊さんの的確なアドバイスがあり、決まったら近くの店員さんに声をかけるようにとのことだった。しかし、母はこのタイミングでメガネとは関係のない話を切り出した。このような量販店の店員さんは忙しい、「面倒くさい客だ」「迷惑だよ」と思ったのだが、すぐに母が話し出した理由に察しがついた為、それを遮ることはしなかった。
 「家の中で気軽に使いたいから何でもいい」と言っていたはずだったが、実際には掛け心地か、デザインか、散々悩んだあげくに母はフレームを選び出した。すぐ近くに他の店員さんもいたが、渡邊さんの手が空いた隙にフレームを渡すように母に促した。デパート内で時間を潰し、仕上がり予定よりもやや早めに店に戻った。すると、渡邊さんが母のところまで来て、「すみません、お渡し出来るのは予定時間と同じ頃になってしまいます」と知らせてくれたのだ。メガネの掛け心地を確認する際にも、座っていた母の目線まで身をかがめ最後まで誠意の感じられる接客だった。
 店を出ると、すぐに母から渡邊さんの対応への言葉が飛び出した。僕も、一時帰国ごとに感じる日本のサービスの変化が気になっていた為、帰路はこの話で盛り上がった。

 ここ数年、滝川クリステルさんの国際オリンピック委員会総会時でのアピールのお陰なのか、ニューヨークでも日本の“おもてなし”が話題に上る。武士道の精神と共に、日本人の美徳として誇りにも思うが、いつの頃からか、“おもてなしの心”が込められているはずの日本の“接客”イメージは、コンビニエンスストアー店員の態度の悪さや、高級料亭の食べ残し料理使い回し事件など、多くの業界からのサービス低下を嘆く声によって、形ばかりになりつつあるのではないかと感じていた。ただし、コンビニエンスストアーに於いては近年そのような印象はなく、利用者の“期待し過ぎ”という問題もあるのかも知れない。
 初めて訪れたヨーロッパの店で、当時の日本とは異なるその様子に驚かされた。どの店に入る際にも、互いに「ハロー」と挨拶をし、買い物をせずに店を出る場合でも「サンキュー」と笑顔で言葉を交わしていたからだ。実に心地よい習慣だと感じた。ニューヨークの衣料品店などでも、「お手伝い出来ることはありますか?」と店員さんが声を掛けてくることが多いが、これに対し、「大丈夫です」「見ているだけです」と返事をすれば、その後は放って置いてくれるので、「とても快適だ」と友人と話すことがある。
 こんな出来事に遭遇したこともあった。ある日、マンハッタンのカフェで友人と待ち合わせをしていると、彼女は新調した真っ赤なフレームのメガネを掛けてきた。小柄でやや丸顔の彼女に、そのメガネはとても良く似合っていた。一番小さいトールサイズ(アメリカにはショートサイズがない)のコーヒーを注文すると、そのカフェの店員さんは、「素敵なメガネね、あなたにぴったりよ」「グランデにしといたわ」と、サイズをひとつ大きくしてくれたのだ。世界展開しているシアトル発祥のカフェであり、日本では考えられないことではないだろうか。

 またある夏の日のこと、お気に入りのブランド店でサングラスを購入しようとすると、店員さんにソーシャルセキュリティーナンバー(注1)所有の有無を尋ねられた。ニューヨークには、このナンバーを告げるか、学生証を提示する(または会員になる)ことで、その場で15% 程度の値引きを受けられる店が幾つも存在する。残念ながら僕はこのナンバーを持っていなかったが、彼女は、「特別ね」と言って自身のポケットから何かを取り出して値引きをしてくれたのだ。
 一方で、こう語る友人もいる。「呆れてしまうのは、ドラッグストアなどの店員が、携帯電話で家族や恋人と話をしながら平然と接客することだよね。人種差別による低賃金の為に、怠惰になってしまった一部の人たちの何でもありの対応かも知れないけれど…」。確かに僕にもこのような経験があり、複数のレジがある店では気持ちの良い買い物をする為にレジを選ぶこともある。
 多種多様な人種が生活しているニューヨークでは、接客のあり方も様々で、残念な思いをすることもあるのだが、非常識なお客さんがいることも事実であり、「色々とあるだろう」という思いからかそれに慣れてしまい、むしろ微笑ましい光景に巡り合う確率が日本よりも多いような気がしている。

 今回、母と共に訪れたような流行りのメガネ店の評判をインターネットで調べてみると、「店員の知識や態度、そして商品もその価格レベルであり、お奨め出来ない」という書き込みが実に多い。そもそも、検眼については眼科で処方箋をもらうべきだという考えがあるが、たとえ視能訓練士や認定眼鏡士であったとしてもそのやり方に疑問を感じることも多く、結局は「人だよなぁ」と僕は思っている。無論、初めてメガネを作る人がこのようなリーズナブルな価格の店を利用する際には、事前にメガネについての勉強をしておくことが望ましいだろう。しかし、半年や一年間の保証期間中には無料でレンズを交換してくれるなど、気軽に使うメガネを求めるならば、実に素晴らしいシステムであることに違いはない。
 帰宅後、このメガネ店の店名とデパートの住所を書いたメモを母に渡した。僕がまだ小学生の頃、多分同じデパートだったと記憶しているが、食品売り場の店員さんの対応に感動した母が、店長さん宛に葉書を書いていたことを思い出したからだ。
 母は、「駄菓子屋は商売ではなく、しつけの場だ」と語る老師とも呼ぶべき方(駄菓子仕入れ先)との出会いによって、その方が亡くなるまで家の片隅で駄菓子屋を営んでいた。きっと、食品売り場で感じた“おもてなしの心”も、その教えと同じように一通の葉書から広がって欲しいと願ったのだろう。そんな母が、検眼を担当してくれた渡邊さんにした話とは、苗字の“ワタナベ”に複数存在する「邊」の異体字についてだった。その夜、“リーディンググラス”を掛けて何度もその文字を辞書で確認しながら葉書に向かっている母の姿があった。

2016.3.7

(注1)ソーシャルセキュリティーナンバー : 徴税の為の個人特定を目的に発行され、現在はアメリカ国内での国民識別番号、身分証明番号にもなっている。

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