棚井文雄

ニューヨーク物語23「葛藤」

ニューヨーク物語23 「葛藤」

 照恵さん(ニューヨーク物語22)からの誘いで、絵描きの友人と共に貴子さんが演じた『ジゼル』のDVD鑑賞のため、滞在先であるタイムズスクエアのアパートにお邪魔した。その後、大雪の中、Sanaeさんが参加するパフォーマンスショーへも足を運んだ。
 しかし、何とパソコンの調子が悪く、音が出ない上、飛び飛びの映像で『ジゼル』を観る羽目となってしまった。それでも、この舞台演出を行った照恵さんの解説によって、バレエへの世界観が変わっていく感覚を覚えた。
 写真の世界に於いて、写真作家の行為は被写体の光と陰(ハイライトとシャドー)をフィルムを通じて反転(ネガ)し、さらに暗室での現像で化学反応させた銀の粒子によって一枚の紙の上に表現される。物質を他の物質に(印画紙に焼き付ける)置き換える行為である。
 バレリーナの中西貴子は、『ジゼル』という被写体(対象)を自らの肉体に投影し化学変化させ、それを舞台の上に焼き付けるかのように舞う。そこには写真作家同様それまでの彼女の生き様が現れてくる。全幕を演じ終え改めて舞台に現れたプリマ・中西貴子、その姿に同じく”美”を追求する者として共感を覚えた。何かが吹っ切れたような、それでいて充実感に満ち溢れた表情で登場したのだ。本来ならば、直前に演じた亡霊の余韻を残しつつ新たな見せ場を作ることが演出の王道であるのかも知れないが、これぞ「暗く長い挫折の日々を経験した」中西貴子なのであろうと感じた。

 

 

 

 

 

© Fumio Tanai / HJPI320610000334

 僕は、絵画や写真などの芸術作品を見る際、その作品から作家の”葛藤”が伺えた時に、その行為に対して敬意と讃称の意をおくる。自分にとって「芸術作品」とは、葛藤の賜物であるとも考えている。しかし、広告など人々の目を引く為にインパクトを与えた写真やイラストとは異なり、こうした作品に秘められたその痕跡を探ることは容易ではない。まるで精神修行のように辛抱強くその作品と対峙することからはじまるのだ。
 このような物質化、物質変換を行う絵画や写真行為とは異なるが、バレエの世界に於いて、美しい手脚を持ち、全てに恵まれているとされる中西貴子だからこそ直面した苦悩もあっただろう。奔放な母親と比較され、心痛めることもあったに違いない。そんな彼女の抑えることの出来なかったあの表情にこそ、それまでのバレエ人生の葛藤が映し出されていたように思う。長野オリンピックの際、不振に苦しみ、本番に弱いと言われたスキージャンプの原田雅彦、やがて優勝を飾った時の彼の表情にそれまでの葛藤を見たのは僕だけではないだろう。

 パフォーマンスショーだが、薄暗い舞台の上に数種類の異なるカラーライトによって、何かにもがき苦しむような、うごめく人間たちの姿が映し出される。それぞれの役者はSanaeさんの動きに反応するかのように舞っていくのだが、たびたび現代社会への問題提起とも伺えるシーンが訪れる。本来、彼らの考えや心理を探るものでないことは承知だが、その想いと共に何処へ向かおうとしているのか、それぞれのパフォーマーのことが気になった。しかしそれは、「お前は何処から来て、どこへ向かうのか」そう問われているようでもあった。現在、Sanaeさんは、様々な手段を用いて自己表現を行っている。これは15年に及ぶ彼女のニューヨークでの葛藤が生み出したひとつの答えなのだろう。

 ニューヨークには、底なしの野心を抱いた無数のアーティスト、アーティスト志望者がいる。僕は「野心のすすめ」は出来ないが、本来、葛藤こそが真の芸術作品を生み出すと考えている。バレリーナ・中西貴子、アーティスト・Sanaeの”葛藤”に敬意を表して。

2015.2.23

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