ニューヨーク物語36 「ルマニーと平木収とパリ」
前回、かつては隔年でパリを訪れていた話をしたが、その目的は、”Mois de la Photo à Paris /パリ写真月間” だった。パリのアートフェアの中で最も注目されると言われるこの催しは、隔年の11月、市内100ヵ所近いと思われる美術館やギャラリーなどで写真展や写真関連イベントが開催される。初めてパリを訪れたのも、やはりこの写真月間の時期であり、川崎市市民ミュージアムの学芸員を経て、フリーの写真評論家となった平木収氏に誘われたことがきっかけだった。当時の僕は、いわゆる”黒焼き”と言われる、濃度が高い、全体に黒っぽいイメージのプリント作品を創っていた。その頃、日本でこの作品を見せて高く評価してくれたのは、数人の写真家と写真を良く知る編集者、そして平木氏だった。
「これはフランスで見せるべきだ、ジャン=クロード・ルマニーに会いに行こう。」平木氏はそう言った。前回の「ニューヨーク物語 35」に登場した、敬愛するパリのキュレーターとは、このルマニーのことだ。僕はその場でパリ行きを決断し、11月の写真月間に合わせて、平木氏と同じロシア経由の飛行機”アエロフロート”を押さえた。
平木氏との二人旅は、実に行き当りばったりだった。モスクワ・シェレメチボ空港でのトランジットを終えて機内の乗り込むと、「パリに着いてホテルが見つからないこともあるので、機内でパンと水を手に入れておくように…」と言われた。空港からメトロを乗り継ぎ、13区北部、イタリア広場に位置するPlace d’Italie駅へ。平木氏の馴染みのホテルがあるという。あいにく空室はなく、スーツケースを引きずりながら次のホテルへと歩き出した。やっとのことで見つけ出した宿は、狭く薄暗い部屋で、ベッドの上にはベージュ色の毛布が無造作に置かれているのみ。小さなシャワーブースはあったものの、トイレは共同だった。遅くまでオープンしているという近所の商店を紹介してもらい、夕食の買い出しにでかけた。美しいボトルラインのビールと、チーズなどのつまみを購入し、ホテルでの遅い夕食となった。ベッドサイドの電球に照らされ、セクシーな赤みを帯びた琥珀色のビール…いまでもその情景が目に浮かぶ。この” CHIMAY /シメイ”というビールの味わいは、パリのこの部屋で平木収氏から教わった。
一番の目的だった、ジャン=クロード・ルマニーとのアポイントは、もちろん取られていなかった。だが今は写真月間、ルマニーはどこかのギャラリーに立ち寄るに違いない。地元写真家の情報をもとに、ルマニーが顔を出しそうな場所で待ち伏せをした。ここにルマニーが本当に現れた、こういうところが平木氏の持つ運の良さなのだろう。翌日に、フランス国立図書館でのアポイントを取った。
その後、僕は何度となくパリのルマニーのもとを訪ねた。ルマニーが来日した際には、川崎市市民ミュージアムのイベントで再会を果たしている。ルマニーとの出逢いは、それまで自分が想い信じてきた「作品、作品創りのあり方」「写真家(写真作家)の本来あるべき姿」への追求、そこから全ての迷いを払拭していってくれた。
平木氏が亡くなられて、今年で10年になる。氏には、「職業写真家ではなく、”作家(写真作家)”を目指しているのだから、数年でも海外(パリ)に住むように」と何度となく勧められた記憶がある。そこから氏に感じたことは、パリ在住の日本人写真家らを紹介してくれようとした優しさと、写真をこよなく愛する者として平木氏がパリに住む写真家に抱いている憧れのようなものだった。それは、酒を交わした際の会話や、かつて著名写真家が住んでいたとされる、パリ市内のアパートを案内してくれた時の氏の眼差しからも窺い知れた。しかし僕は、資金面も含めて時期尚早として、その時に動くことはなかった。やがて日本を離れ、ロンドン、そしてニューヨークへと拠点を移したわけだが、そのことを平木氏は知らない。
氏に教わったお酒がもう一つある。フランスで最も古い葡萄畑の一つと言われるエリア、カオール周辺でつくられる赤ワインだ。黒ワインと呼ばれるほど濃い色をしており、そのイメージ通りにコーヒーやブラックベリーのような香りがする。平木氏と二人で旅した年、その二年後、そして更に二年後とパリで購入し、ある場所の地下に保存してある。
もうすぐ写真月間の季節を迎える。次回開催は2020年ではあるが、10年に及んだニューヨーク生活の報告もしたいし、「そろそろ一本開けてみようかな、平木さん」。
photo&text: 棚井文雄 / Fumio TANAI / HJPI320610000334