棚井文雄

ニューヨーク物語15「写真が繋ぐステキな出逢い」

ニューヨーク物語15 「写真が繋ぐステキな出逢い」

 NYは久し振りに青空が広がり、いつものようにあてのない散歩に出かけることにした。アパートを出てメトロに揺られること1時間半、車窓からの風景を眺めているといつの間にか終着駅。駅周辺を散策していると墓地を発見、さっそく中に入ってみることにした。これまでいくつもの墓地を訪れたが、ここはちょっと趣が異なる。まるでギリシャ遺跡や凱旋門、ピラミッドを彷彿させるような墓石が目に飛び込んできたのだ。ベンチ型やハートマークのものまで存在する。

 いつものストリートスナップのように、撮影は手短に行いカメラはすぐにバックにしまっていたつもりだったが、しばらくすると一台の車が近づいて来た。どうやらこの墓地の警備員のようだ。やはりライカのようなレンジファインダーカメラでの撮影とは異なり、デジタル一眼レフはどうしても目立ってしまう。「こんなことには頻繁に遭遇しているので慣れっコ」と思っていたのだが、今回は車に乗るように言われてしまい車内での尋問。そのまま事務所まで連行された。身分証明書を提示するようにも言われたが、持っていたのは取材用のプレスカード。時にこれはややこしい事態を招くため提示せず。一通りの尋問後、誓約書にサインをさせられた。しかし、その後このガードマンの運転で著名ジャズミュージシャンのお墓を案内してもらえることになったのだ。彼は元警官であり、「あんたは正直そうなので・・・」とのこと(笑)。お礼に、「ありがとう」という日本語を教授させていただいた。NYって、たまにこんなこともあるんです。
 ガードマンといえば、僕がまだ写真家の助手時代、「歌って踊れる写真家にはなれないが、何かしてみよう」と思い立ち、何故だったかテニススクールに通ったことがある。スコート姿の美女と楽しくレッスンをしていたことよりも、親しくなったそのビル(テニスコートが屋上にあった)のガードマンを、手に入れたばかりの二眼レフカメラで撮影し、8×10 / バイテン(注1)に引伸したモノクロプリントをプレゼントしたことを鮮明に記憶している。フリーの写真家として独立した時の為に運転には慣れておくべきだと、助手時代から車(親戚の車商から手に入れた19万円のトヨタ・セリカXX)に乗っていた僕は、このガードマンのお陰でいつも関係者駐車場に愛車を停めさせてもらっていたのだった。
 ある日、このガードマンから教えられたことがある。「もしどこかに人が倒れていたら、ちょっとでも触ってはダメだよ。必ず人を呼びに行くこと。その人が亡くなったりしたら、触ったことを問題にされてしまうことがあるからね」、「君は、真っ先に助けようとしそうだから心配だ」と。確かに、ボーイスカウト時代に一般的な応急処置や人工呼吸も学んでおり、率先して行動に移すように指導されてきた。森永さんという方だったが、写真家として独立した頃にはビルが立て替えられ、その報告も出来ないままになってしまった。これも僕の十字架のひとつだ(ニューヨーク物語 5)。
 最近、尊敬するある写真関係者のお嬢さんと知り合いになった。彼女に墓地での出来事を話すと、「これからも記憶に残る人に、たくさん会えることを願ってますーー ! 」というメールが届いた。これは僕へのメッセージであると共に、彼女自身の願いでもあるのだろう。
 色々な人がいて色々なことが起こる世の中で、生涯の記憶に残るような人との出逢いはとても貴重でステキなことだ。

(注1) バイテン:8×10インチ、フィルム印画紙サイズの定番のひとつ

2014.10.8

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