ニューヨーク物語 6 私だけの十字架 II
その頃の私は、アジアやヨーロッパの都市を旅しながら、写真がいかに「確かなもの」を捉えるのかを考え続けていた。その旅から帰国後間もなく、私は「日本」で撮影することを決めた。そしてあるひとつの「場所」を選び出した。自分となるべく縁のない、それでいて、何かしら自分の意識に関係してくる場所。そこに、ある調査によれば「日本で一番生活環境のよい場所」であり、同時に、日本で初めて「原子力発電」が使われ始めた場所であるとう、福井県が浮かんできた。気持ちの良い生活があり、原子力発電が集中しているというこの土地に、高度に抽象化された「確かさ」と「不確かさ」の混在する現代日本の縮図があると思い、撮影を始めた。
写真という手段を通じて、私なりの「不確かさ」を捉えるべく、暫くの間さまざまなアプローチを試みたが、今までのように自分自身を通じてこの場所を見つめるのではなく、この土地に住み、生活する人々の目を借りて見た映像を撮影したいと思うようになった。
この撮影のモデルになって下さったある方の書斎で、たくさんの書物の中に、ある政治家について書かれている興味深い本を見つけた。私は高校入学後間もなく、政治に強い関心を持ちはじめた。それはその学校の教育方針にも関係があったが、大先輩に、あの吉田茂氏がいたことも大きく影響していたはずだ。しかし、その頃の私の関心は、原爆、原子力発電、ベトナム枯葉作戦、日米安保条約などであって、かつての政治家への興味は薄かった。
© Fumio Tanai / HJPI320610000334
その後、写真家助手時代に、現在の私の政治観や価値観に影響を与えたある女性と出会う。吉田茂氏の片腕と言われた白州次郎氏の妻、白州正子氏だ。現在、「白州正子記念館」になっている自宅へは何度もお邪魔し、撮影の合間にも色々な話を聞くチャンスがあった。この頃、私が観ていたテレビ番組といえば、幼年期の両親からの影響もあったのかも知れないが、とにかく政治討論系が多く、結局変わらない世の中への歯痒さと空しさを感じてもいた。そして、いつしか現在のアメリカと日本との関係、世界の中での我が国の立場を決定的にした、吉田茂氏の時代に興味を持つようになっていった。
前出のモデルになって下さった方の書斎で見つけた本のタイトルは、まさに、『吉田茂とその時代』だった。私の吉田茂氏への関心を知ると、その方は、「この本を読んでみなさい、忘れてしまったら返さなくていいから。」と、上下巻2冊を笑顔で貸して下さった。しかし、「忙しい」ということを理由にし、その上、自分のだらしなさからその方の連絡先はわからなくなり、この本は、現在も私の書棚に並んでいる。
この7月、その方にもモデルとして登場いただいたシリーズの作品を、撮影地の福井県で展示することになった。これを機に、その方と再会出来ることを心から願っている。そしてひと言、この本のお礼が言いたい。