渡邉澄晴

渡邉澄晴の写真雑科 5

渡邉澄晴の写真雑科 5

11.   夢の夢、そのまた夢のニューヨーク

 「なべさんニューヨークに行かないか?」
当時勤務していた先輩のS氏から、こんな誘いを受けたのは1962年の春だった。
「ちっと飲みに行かないか」という程度の誘いに思えたので、「ニューヨーク! いいですねー」と軽く受け流していたが、S氏の話は真面目な誘いであることを知った。
当時は1ドルが360円の時代であり、外国へ行くことなど考えてもいなかった。しかもニューヨークなんて夢のまた夢だった。「家に帰って家族と相談して」と格好をつけた返事をしたものの、気持ちは既にアメリカに飛んでいたのである。


12.   美人英語教師とマン・ツー・マン

 今でこそ簡単にいけるアメリカだが、当時は長期滞在のビザは申請してもなかなか許可が下りなかった。特に技術者の渡米は難しかった。大使館で面接があり、不適任とみられれば許可されないとも聞いていた。
一番のハードルは英会話である。「大使館でいろいろ質問される。」「返答ができないと‥」と、脅かされた。英語は苦手で大嫌い。そのことは会社も知っていた。「英語の講師を会社でお願いするから」と、人事課から連絡があった。津田塾大学から女性の先生が来てくれた。K先生というアメリカ生まれの日本人で、20代後半の掛け値なしの美人先生だった。一回一時間半。一週間のマン・ツー・マン特訓はとても楽しかった。しかし反面、会社の費用で特訓を受けたのに大使館での面接でもし「NO」になったら‥。これは大きなプレッシャーだった。


13.   「OK」「Thank you」のあっけない面接

 半年後米国大使館から呼び出しがあった。港区赤坂の大使館に行き係官と対面した。係官はしばらく申請書類を見ていたが、なにも聞かずに「OK」と言ってスタンプを押してくれた。緊張と不安の面接だったが、実にあっけない終幕だった。「この者、重要につき特別の計らいを!」と、会社が手を回したとも聞いているが、これは定かではない。
誘ってくれたS氏は、既に現地会社の副社長として着任していた。

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