渡邉澄晴の写真雑科 9
23. 妻からの手紙
ニューヨークに来てから、初めて妻からの手紙がきた。内容は子供のことばかり、かつてラブレターを交わしたように、早速返事を書いた。ここニューヨークには12人が日本から赴任してきていた。うち私を含めて4人が妻帯者だが、この時代は会社の規則により妻子同伴は許されず、いずれも単身での赴任だった。
週末、アパートの近くの公園へカメラを持って行き、初めての休日をのんびり過ごした。幼児の手を引いた若い夫婦や子供たちが芝生の上で遊んでいた。ふと「パパお土産買ってきてね!」と、羽田を発つ日航機に向かって、手を振っていた2歳の長男がたまらなく愛おしく思えてきた。
この年(1962年)の10月22日、ケネディ大統領は全世界に向け、ソ連がキューバに中距離ミサイル基地を建設中であることを公表、ソ連にその基地の撤去を要求し、「キューバに武器を搬入する船舶には断固たる措置をとる」と声明。米ソ一触即発の危機に全世界が緊張した。
その重大放送は、この日の夜全米に放映された。私もテレビを見ていたが、もちろん幼児が大人の話を横から聞いているようなもので内容は分からなかった。しかし、事態が切迫し容易ならない話であることは笑いを忘れた大統領の深刻な顔、そして話の中で「キューバ」「ソビエト」という国名が何度となく出てきたことから、ただならぬ自体であることは、おおよそ察しがついた。
この事件はソ連のフルシチョフ首相がミサイル基地の撤去に同意。一触即発の危機は回避されたが、もし米ソが直接衝突したら核戦争に…ぞっとする事件だった。