棚井文雄

ニューヨーク物語13「ニューヨーク恋物語」

ニューヨーク物語13 「ニューヨーク恋物語」

 1960〜1970年代、今で言うところの“ちょいワル”写真家たちがジャズクラブにたむろっていた。色々な意味で写真家にとって最高の時代であったに違いない。やがてそんな写真家を代表する一人に師事した僕は、ジャズフェスティバルなど多くのイベントに同行し、世界の名立たるプレーヤーたちを知ることになる。そして、徐々にジャズへの興味を深めていった。フリーとして独立し中国を撮影していた頃には、和平飯店/ピースホテル(上海)のジャズバンドをひいきにしていた。その後、友人のジャズプレーヤーからサックスを習い、ニューヨークではジャズシンガーと出逢うなど、ジャズは更に身近なものとなった。
 
 先日、ある女性からジャズを聴きに行かないかとの誘いを受けた。美女のいざないを断っていてはいつまでも“ちょいワル”にはなれないと、喜んでブルーノートに足を運んだ(笑)。「ブルーノート」といえば、ワシントンスクエア近くに佇む、言わずと知れた名門ジャズクラブである。僕は、約束の時間よりも少し早くアパートを出た。久し振りに渡辺澄晴氏(ニューヨーク物語8)と一緒したあの場所を歩いてみたくなったからだ。気候が良くなってきたこともあって、ワシントンスクエアは多くのパフォーマーとそれを囲む人々で賑わっていた。すぐに、ナベさんがカメラを構えている姿が目に浮かんできた。そして、「きっとこのカップルにカメラを向けるだろうなぁ…」と想像しながら僕もシャッターを切った。

 ブルーノートに入ると、開演30分前にも関わらず既に超満員。僕たちはバーの立ち席となった。この日はゲイリー・バートン(ヴィブラフォン奏者)と小曽根真(ジャズピアニスト)のデュオ。僕は、ブルックリンビールを飲みながら「富樫雅彦」のことを考えていた。“ジャズ”といえば真っ先に氏が思い浮かぶ。助手時代、富樫さんの取材に同行したことがあり、それは 「東京FMホール」での出来事だった。挨拶を交わした直後、富樫さんは突然ドラムを叩きはじめたのだ。それもたった2人の為に。さほど詳しくなかったとはいえ名立たるプレーヤーたちの音を聴いていた僕は、富樫雅彦のドラムに大きな衝撃を受けた。そんな思い出話を美女に囁いていると、デュオ演奏が始まった。心地良い音色がクラブ内を染めて行く。しばらくすると、隣の女性がしゃがみ込んだ。心配になって目をやると、床の上にあぐらをかいているではないか。しかも、軽く身体を揺すりリズムをとっている。これぞニューヨーカーだ(笑)。すると、今度は美女がうずくまった。こちらは少し様子が異なる。すぐに外に連れ出そうとも思ったが、幸い大事には至らなかった。きっと、僕が思う日本人の美徳を持ち続けている女性であり、さまざまな気疲れが溜まっていたのかも知れない。真の美女は“かよわい”というイメージを持っているが、「ホンモノだ」と久し振りに思った(笑)。
 
 助手時代に多くの文化人や著名人と接し、時には個人的に会話をするチャンスもあった。中でも富樫雅彦とのような出逢いが僕を育ててくれたのだと、後に感謝の気持ちを抱くようになっていた。そして、いつか写真家として「富樫雅彦に逢いに行こう 」そう思っていたのだが、行動を起こそうとした時にはすでにこの世では逢えない人となり、僕の夢は叶わぬものとなった。「もう少し…」そう思っているうちにかなりの時が過ぎ去ってしまうものだ。きっと、美女にも同じことが言える。この原稿を書き終えたら、すぐにでも“ちょいワル”メールを送ろう。本家“ちょいワルおやじ”パンツェッタ・ジローラモ直伝の秘法で…(笑)。


“ちょいワルおやじ”パンツェッタ・ジローラモ © Fumio Tanai / HJPI320610000334

2014.4.16

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