棚井文雄

ニューヨーク物語35「パリの風見鶏」

ニューヨーク物語35 「パリの風見鶏」

 昨年の春、久し振りにパリを旅した。ニューヨークへ写真家として活動拠点を移すまでは、しばしばこの街を訪れていた。
10年に及んだニューヨーク生活から帰国して間もなく、渋谷にあるグラフィック・デザイナーの小川剛史氏(「ニューヨーク物語33」O氏/今回、奥さまの許しを得て名前を出させていただく)の事務所を訪ねた。
 「イタリアで写真を撮ってきたから見て欲しい」「写真展を開催することになった」「そろそろ仕事を引退して半年くらい大好きなイタリアでゆっくり写真を撮りたいと思っている」などなど、ニューヨークに住んでいた間にも小川氏は定期的に連絡をくれていた。
事務所で溜まっていたイタリアでの写真をたっぷり見せてもらった後、渋谷駅周辺までランチを食べに行くことになった。数年前に大きな手術を受けたということだったが、すでに元気を取り戻している様子で、「秩父にいい温泉、露天風呂があるんだよ、時間が出来たらそこへ行って、風呂上りにすぐ近くで旨いホルモン焼きを喰おう」と約束を交わした。渋谷のこの店を出るとき、小川氏とまた来たいと思いショップカードを手にした。それは僕にとって珍しい行動だった。
 そもそも小川氏との出会いは、ある編集者によって引き合わされたことに始まる。当時の僕は、いわゆる黒焼きと言われる濃度の高いプリントを創っており、その作品は、敬愛するパリのキュレーターからうれしい評価をもらっていた。それに前後するように、編集者からの誘いでその作品を抱えて小川氏に会うことになったのだ。「小川さんは本当に写真が好きだから、棚井の仕事の写真じゃなくて、ヨーロッパの作品を見せよう」と言う編集者と共に、閑静な住宅街にある小川氏の事務所”クリエイティブエージェンシーアクス“を初めて訪ねた。プリント一枚一枚を丁寧に見る小川氏、その間、氏は一言も作品に関する言葉を発しなかった。一通り見終わると、編集者と僕のためにシェイカーを振ってカクテルを作ってくれた。事務所を後にする時にも、「じゃあなぁ」としか言わなかった。モヤモヤした気持ちでいると、編集者がこう言った。「棚井のことを気に入ったはずだ」。それから間も無く、小川氏と三人で、イタリアトスカーナ地方のロケに行くことになった。僕が小川氏に見せた黒焼きの写真とは真逆の、明るく爽やかな写真を撮りに…(笑)。

 フィルム時代、僕は基本的に作品撮影には、ライカ(レンジファインダー)を主として、必要に応じてローライフレックス(二眼レフ)を持ち出すなど比較的シンプルなカメラを使ってきた。フィルムも当然のようにモノクロだった。しかし、ニューヨークに移ってしばらくした頃、もともとのこの街に対するイメージや、目を引く色に対して、フィルムの色再現よりもデジタルカメラの色の置き換えの方が合っていると感じはじめ、思い切ってカメラを変えることにした。作品をモノクロに限定しないことにしたのだ。その後、カメラの急速な進化もあって日本へ戻る頃には、出来るだけ撮影時に目立ち難い掌サイズのデジタルカメラやミラーレスカメラへとシフトした。
 ところが、昨春パリへ向かう時には、事情が変わっていた(ニューヨーク物語33参照)。小川氏から預かった高級デジタル一眼レフカメラが手元にあったからだ。氏がどんな想いでこれを僕に託そうとしたのかを想像すると、いくら高級機で撮影時に目立ってしまうからといって、このカメラを持って行かないという選択肢は僕にはなかった。パリでは、ニューヨークでの日々のように当てもなく街を歩いた。ふと、観光客が入場待ちで溢れる場所に出くわし、その建物の裏手に廻ってみようと早足で移動していた時、「小川さんが撮りそうだ!」そんなシーンが目に止まった。そしてシャッターを切った。
 それは、今年5月、火災に遭ってしまった「ノートルダム大聖堂」を木々の隙間から望むシーンだった。小川氏のカメラを握った瞬間、僕は”小川剛史”になっていただろうし、この写真は小川氏の写真なのだと思う。テレビに映し出されたあの衝撃的な映像を観た瞬間、「撮っておいてよかっただろ〜」と言う小川氏の”したり顏”が脳裏に浮かんできた(笑)。
 ”イタリア命”の小川氏だが、もしニューヨークの街を歩かせたらいったいどこでカメラを構えたのだろうか。よく考えてみると小川氏の写真を見ることはあっても、カメラを構えている姿を見たことはなかった。今度、ニューヨークを訪れる際にも、やはりこのカメラを持って行こうかと考えている。小川氏のカメラを握ってニューヨークの街に立てば、それが分かるかもしれない。それに、きっとこのカメラは小川氏に代わって、大火災でも不死身だったノートルダム大聖堂の「風見鶏」のように、僕を見守ってくれるに違いないから。

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