ニューヨーク物語37 「血・銃・政」
ニューヨークにアパートを借りて間も無くの頃だった。高架橋を走るメトロ、その車窓から黄昏時の街を眺めながら帰路に着いた。シートや車両そのものへの落書きはないが、ガラスへの引っ掻き傷が目立つ。メトロ各駅で見られる印象的な深緑色に塗られた階段を降りると、横 たわる男から流れ出る鮮血が眼に飛び込んできた。「銃で撃たれたんだ」、誰かがそう叫んだ。
友人のJeffは、とても野心的な男だ。様々なスカラシップに挑戦したり、チャンスを求めてセミプロのサックスプレーヤーとして、ジャズバーのステージに立つこともある。彼の言葉は、アメリカンジョークを交えようとしていることもあるのだろうが、時に周りを凍りつかせたり、緊迫した空気を作り出す。ある時、「どこの国を旅したいか?」という雑談をしている際に、僕は”キューバ” を挙げた。すると間髪入れずに「Are you Communist !? 」(共産主義者か!?)と発したのはやはりJeffだった。そんな彼を交えた数人で、アメリカの「銃社会」について話をしたことがある。
それは、東日本大震災直後、福島第一原発から海に流出しているとされた高濃度の放射性汚染水についてJeffが口火を切ったことがきっかけだった。高校時代から原子力発電や、それに関連する電力会社の収益構造に疑問を感じていた僕にとって、震災と共に世界を巡った汚染水流出は衝撃的なニュースであった。「原子力発電」は必要なのか?この話は、やがてアメリカの「銃社会」—銃は必要なのか?という話題へと移っていった。政治的な背景を含めて、また、銃が規制されているニューヨークに住んでいることもあってか、その場にいたほとんどの人が「銃」は必要ないと発言した。
そんな中、Jeffは祖父母の話を始めた。ある夜、郊外に住む祖父母の家の前に数台の車が停車した。異様な雰囲気を感じ取った祖父がカーテン越しにその様子を窺うと、それは、トランクからバールや鉄パイプを取り出すギャング(少年)たちの姿だった。祖父はすぐに家の中に隠し持っていた銃を手にし、タイミングを見て威嚇したという。そしてJeffは、声を大きくしてこう言った。「祖父が銃を持っていなかったら、どんなことになった?」「銃は必要だ!」と。
先日、テニスの大阪なおみ選手が、その抗議のためにウェスタン&サザンオープンの準決勝出場を一時辞退する要因になった米ウィスコンシン州の警官が黒人男性を背後から複数回撃った事件をテレビで目にした。その時、脳裏に浮かんだのは、渡邉澄晴写真集「New York 1962-64」に収録したハーレムでの一枚だった。ノーファインダーで撮影したというその写真には、黒人警官と白人警官がペアで街をパトロールする様子が収められている。そしてもう一枚、やはりこの写真集収録の貴重な写真。大統領選を間近に控えて盛んになってきた人種差別反対運動の様子—新聞スタンドに貼られた「アフリカに帰ろう」と書かれたポスターが目につく。
米ウィスコンシン州の事件以前にも、隣のミネソタ州で、黒人男性が警官に首を押さえつけられて死亡した事件や、麻薬捜査のために自宅に入ってきた警官に撃たれた黒人女性が亡くなった事件があったことは記憶に新しい。そして、この原稿を書いている最中にも、ロサンゼルス近郊で、自転車に乗っていた黒人男性が警察官と揉み合いになり撃たれて死亡したというニュースが飛び込んできた。
人種差別や銃の問題は、11月に予定されているアメリカ大統領選挙関連と連動するように報道が盛んになってきている。トランプ大統領の公の場における「銃を持つ権利」を擁護する発言は印象的で、規制強化に強く反対する全米ライフル協会への配慮と捉えることもできる。とは言うものの、移民の流入によって誕生した国、アメリカの「自分の身は自分で守る」という精神は、僕自身、ニューヨーク生活でひしひしと感じていた。いま、アメリカでは、銃の売り上げが伸びているという。新型コロナウイルス感染拡大による社会不安も大きく影響しているのだろうが、選挙結果によっては銃が規制されることを懸念している人が少なくないはずだ。
2005年から1年半ほど、僕はロンドンに住んでいた。ここでも、日本ではあまり接することのない、テロ、銃、そして人種差別問題を体験した。2012年のオリンピック開催地がロンドンに決まった翌日の7月7日の朝、チューブ(地下鉄)3か所が同時に、直後にバスが爆破された。そして、そのテロは続けて発生した。2度目は被害が小さく模倣犯とされたが、同じ曜日だったこともあり、木曜日には地下鉄に乗るのはやめようと声を掛け合っていた。当時、この出来事について僕は日本写真作家協会の会報誌に以下のように記している。——テロの標的になったのは新型のダブルデッカーバスの2階前方で、その死角が狙われたのではないかと言われています。その意味で、バス利用者の中には、1階にしか乗らないという人もいます。また、旧タイプの車両には必ず乗務員がいて、テロ以降は、所有者のわからない荷物があると、すぐに誰の物か確認するようになりました。テレビニュースなどでは、空港や地下鉄の駅など、街中には銃を持った警官を配備しているような放送がされています・・・——-
またある朝、当時住んでいたフラット(アパート)の大家さんに、皆、神経質になっているから、ジューイッシュ(ユダヤ人)を見かけても目を合わせたり、カメラを向けないように注意を受けた。前日、キリスト教とユダヤ教の争いから、墓地が荒らされる事件が発生していた。
日本においても、刃物を使った凶悪で残忍な事件が多発しており、先日も刃物を立てて警察官に向かっていった男が発砲され、死亡した。そして、いつものように「過剰防衛」なのか、「適切な対応」だったのかで論議を呼ぶ。
銃、そして人種差別問題(黒人にとどまらず、ネイティヴ・アメリカンを含め)を形式的に調整しながら大国に成長したアメリカの、一つの陰を見つめたとき、実際には幾つもの血の入り混じる陰が重なっていることに気づく。渡邉澄晴が捉えた1960年代のニューヨークから半世紀が経過した現在のアメリカ、その陰はより複雑に重なり、絡み合ってしまったように思える。同時に、ロンドンや日本には、そのような陰が射さないことを願うばかりだ。
2020.9.5
photo&text: 棚井文雄 / Fumio TANAI / HJPI320610000334