久野鎮

個性について考える

個性について考える
© Suzumi Kuno

 霧ヶ峰、蓼科での撮影セミナーで、多くのアマチュア写真家と接してきて、固定観念に縛られて写真を撮っている人が多いのに驚かされます。
 その多くの要因は、一部の指導者(一部の写真家)に起因するところが多々あるかと。「真ん中はダメ」「白トビはダメ」「ネイチャー写真に人工物はダメ」「フレアーはダメ」等々、ダメ、ダメと言う見えない鳥かごに閉じ込められて、写真を撮っている様に感じます。最初に誰がこれらの「ダメ」を決めたのでしょうか?
 写真には「答えはあるけど、答えは無い」つまり絶対的と言う答えはないけど、その人の答えが答えですから、人によってダメ出しや、ひとつの事柄に様々な答えが返ってくるのかも知れません。その言葉が有名な写真家になれば成る程、信憑性が高くなる傾向があります。
 今は亡き世界の黒沢 明監督が個性について「個性とは、自分が良いと思った事を信じてすることだ」と、又、直木賞作家「下町のロケット」の原作者 池井戸 潤先生は「小説は(写真は)どう評価されるとか、読者(見る人)が何を読みたいか(何を見たいか)に合わせにいく性質のものではない。あくまでも僕はこれが面白いと思うけどどう?と言う提案型です。ちょっと売れるものが出てくると、すぐそれを真似する人が出てくるけれど、クリエイター(創造)ならば自分が面白いと思うことを追求するべきでしょう」と言っています。
 ダメ、ダメが多くのクローンアマチュア写真家をつくってしまったのではないのでしょうか。
 写真家という言葉の響きに、ズッシットした重いものを感じているアマチュア写真家が多くいます。憧れ、願望といった妄想が写真家という響きについてきます。
 写真家の家(カ)という意味には、学問、技芸(ワザ)の流派と記されていますが、「流派」とは流儀の違いで別れた一派。そして「流儀」とは「その人独自のやり方」です。したがって写真家とは、多くのアマチュア写真家が思う程、特別な存在でなく、「写真に関してその人独自の考え方を持った人」の事だと思えば、写真家の存在が身近に感じられるのではないでしょうか。ではプロ写真家とは、写真を生業としている人と言う事です。
 どんなに有名な指導者(写真家)の言葉であっても、大いに参考にしても良いのですが「決して鵜呑みにしない事」あなたが特定の写真家が好きとか、憧れとは別と認識すべきです。
 拙書「あなたの写真はもっと個性的に変わる(日本写真企画)」で強調してきましたが、あなたの一度しかない写真人生、言い続けられている固定観念に縛られず、自分の生きてきた人生観を信じて、自分が良いと思ったらブレないで、信じて撮る。それが個性だと私は思います。

久野 鎮

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