渡邉澄晴

渡邉澄晴の写真雑科 7

渡邉澄晴の写真雑科 7

17.   カルチャー・ショック

 ニューヨークに来てから味わったカルチャー・ショックは「スキヤキソング」の大流行。そして報道カメラマンのカメラの使用事情だった。
1962年当時の日本の新聞社の主力カメラはアメリカのグラフレックス社でプレス用として作られていた蛇腹おりたたみ式カメラ「スピードグラフィック」俗に「スピグラ」で、このカメラは報道カメラマンのトレードマークだった。ところが欧米では既に日本製のニコンFとモータードライブが装着されたカメラが主力になっていた。特にモータードライブの使用率は日本とは比較にならなかった。だからクレームも日本とは桁違いに多く、直しても直しても追いつかないお手上げの状態だった。当時のニコンモータードライブは、彼らの過酷な使用には耐えられず、事故が続発していたのである。


18.   特効薬を持参

 故障の主な原因はスイッチ接点の接触不良だった。駆動・停止を頻繁に繰り返すモータードライブのモーターが停止した時に発生するスパークがスイッチの接触不良を誘発していたのである。私の任務は取り合えず、その接触不良を解決することだった。
設計部で実験の結果、ある種のダイオードをモーターと並列に繋ぐことで接触不良が解決することが分かっていた。そのダイオードを持ってニューヨークに渡ったのである。ブルックリンの下宿からマンハッタンのオフィスへ15セントのトークン〈乗車コイン)を買い地下鉄で通勤した。
持っていった200個のダイオードは2週間でなくなってしまった。今のようにファクスなどはなく、手紙で補充を頼んでも3週間以上もかかる時代だった。


19.   マンハッタンの秋葉原

 幸いここにも東京の秋葉原のような電気街があった。マンハッタンのダウンタウンにあるその電気街を訪ねて、取り敢えず似たものを購入した。日本では1個100円程度なのに、ここでは3ドルもした。当時1ドル360円の時代だったから実に高い買い物だった。
ダイオードを取り付けてからモータードライブの故障は激減した。私の手柄ではないが、関係者からミスター・モータードライブといわれ感謝された。

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