ニューヨーク物語17 「ワシントン広場の夜明け」
昨秋、ニューヨークでトークショーを行った際に、友人を通じてあるアーティストに出逢った。その場で誘われるまま、そのSさんの作品制作に参画することになった。約1年の時を経てプロジェクトを開始したが、その中で、お互いにジェラルド・ジャクソンというアーティストと関わりがあることを知った。何と、渡辺さん(JPA名誉会長・渡辺澄晴)の写真集、『ワシントン広場の顔』1965 年版に、Sさんの恩人であるジェラルドが写っているというのだ。15年前、Sさんが初めてNYにやって来た際にジェラルドと出逢い、真っ先に聞かれたことは、写真家の渡辺澄晴を知っているか?ということだった。彼女の、知らないという答えに対し彼はあきれた顔でこう言った。「有名な写真家だ、僕らがワシントンスクエアでアヴァンギャルドなことをしていたので、Sumiharu Watanabeが興味を持って写してくれたんだ」。
昨春、渡辺さんがニューヨークに来た際には、何度となくワシントン広場を訪れた。その度に、僕に熱く想い出を語りながらかつての友人たちを探し続けていた。その一人がジェラルドだったのだ。もし、あの時に僕がジェラルドに出逢っていれば、二人に素晴らしい再会のサプライズをプレゼントすることが出来たのに…そう思うと悔しさでいっぱいになった。しかし、Sさんからの提案もあって、僕が渡辺さんに代わって現在のジェラルドを撮影することにした。
メトロを乗り継ぐこと約1時間半、ジェラルドは閑静な住宅街に居を構えていた。テーブルの上に溢れ返るたくさんのモノたち、それがこの部屋での彼の歴史を物語っていた。ジェラルドはすぐさま、1965年版の『ワシントン広場の顔』を見せてくれた。実は、僕はこれを見るのは初めてだった。すでに渡辺さんの手元にも1冊しかなく、欧米のネットオークションでは数万円の価格がついている。ページを捲っていくと、カメラを構えた渡辺さんが当時のニューヨーカーたちに体当たりしていく様子が良く伝わってくる。そして、ジェラルドのことは彼のアトリエや展覧会会場にまで足を運び撮影をしていたのだ。写真集に夢中になっていると、「俺を撮ってくれよ」と言わんばかりにジェラルドは奥の部屋にあるソファに腰を下ろした。僕は2013年版の『ワシントン広場の顔』をプレゼントし、渡辺さんを想い浮かべながら夢中でシャッターを切った。一枚の写真によって、50年に及ぶ渡辺さんのNYへの想いと二人の友情を再び繋ぎたいという気持ちでいっぱいになった。
2014.11.11