棚井文雄

ニューヨーク物語24「ニューヨークとナベさん」

ニューヨーク物語24 「ニューヨークとナベさん」

 渡辺澄晴氏の写真展「ワシントン広場の顔」が、新宿のギャラリーで開催された。渡辺氏は会社の命によって1962-64年の2年間ニューヨークに住み、その後1990年、2013年の2度に渡り再訪し、このシリーズを撮り続けてきた。一昨年(2013年)の撮影には僕も同行したこともあり、この写真展にはどうしても駆け付けたかった。会場を覗き込むと、かつて理事会でご一緒した頃と同じくスーツ姿の凛々しい「ナベさん」と目が合った。そして、「いつ帰って来たの?」と、笑顔で迎え入れてくれた。2年振りのうれしい再会だった。ナベさんは変わらずお元気で、会場にいた皆さんに僕を紹介してくれると共に、ニューヨークでの撮影秘話を熱く語りはじめた。
 
 「あの頃のニューヨークでは、キャデラック(注1)を買うかニコンF(注2)を買うか、そう言われていた。僕はそんな時代に2台の“キャデラック”を肩に掛け、毎週末ワシントン広場に出かけて行ったんだ。」そう語る渡辺氏は、他の駐在員たちが休日のゴルフを楽しむ中、ひたむきにニューヨーカーにカメラを向け続けたのだ。結婚後間もなくニューヨークへの赴任を言い渡された渡辺氏、その寂しさを作品制作のエネルギーに変え、このシリーズは生み出された。
 マンハッタンのアパートに暗室を作り、夜になると撮影したTRY-X(コダック製フィルム)を現像する。すると、いつものように向かいのアパートの窓越しに妖艶な人影が浮かび上がる。お客を連れ帰って来たストリートガールの姿だ。1960年代のニューヨークと言えば、暴動が多発するようになり、最悪の治安と社会情勢へと突き進んで行った頃だ。

 これまでに3冊の写真集が出版されたのだが、1965年版の「ワシントン広場の顔」は、渡辺氏の手元にさえもストックがなく、海外のネット販売では数万円の値が付くほど大変貴重な一冊となっている。この写真集は、あの、“ニューヨークタイムズ”の書評にも取り上げられ、現在でも「写真家のナベさん」として同世代のニューヨーカーの記憶に残っている。2台の“ニコンF”と共に、若者の中に突進して写し撮ったあの作品群を見れば、当時、“ライフ” (グラフ雑誌・注3)が渡辺氏をスカウトしたという話にも納得がいく。しかし、「結婚したばかり…」という思いもあり、渡辺氏はその話を断ってしまったのだ。そこには計り知れない苦悩があったであろう。

 今回の展覧会で、初めてナベさんから「金丸重嶺(注4)」の名を聞いた。金丸氏は僕の高校の大先輩でもあることから、早くからその存在を知ってはいたが、渡辺氏の代表作のひとつとも言える「黒人男性と指を絡ませた美しき白人女性 / 1962-64年撮影」は、その金丸氏の目に止まったことで、“アサヒカメラ”への掲載が決まったというのだ。時を同じくして、白人と有色人種とを差別する人種隔離政策に対する、反アパルトヘイト運動に身を投じていたネルソン・R・マンデラ氏(注5)が国家反逆罪で終身刑の判決を受けて投獄された。

 この展覧会には、写真作品以外にもこれまでの渡辺氏の多くの著書が並び、僕がお邪魔していた間だけでも、たくさんの渡辺ファンや、氏のワークショップ受講生が引っ切り無しに訪れていた。津田一郎氏も写真展レポートの中で語っているが、渡辺氏の撮影スタイルは時代と共に変化した。近年の撮影では、かつての記憶を辿るように、現在のニューヨークとその記憶を結び合わせるように穏やかな目線で街や人を見つめている。一方で、いまなお湧き上がる気鋭な制作意欲で満ち溢れる「写真家・渡辺澄晴」、氏の新たな都市での作品も見てみたくなった。
 「ナベさん、今度は一緒にヨーロッパへ撮影に行きましょう!」

(注1) キャデラック : イギリスのロールス・ロイス,ドイツのメルセデス・ベンツに並び、世界を代表するアメリカの高級車ブランド。
(注2) ニコンF : 1959年発売。ニコン初の一眼レフファインダー式カメラ。交換レンズ群やアクセサリーなどの周辺機器も用意され、それらを活用することよって多くの撮影シーンで活躍した。1966年、グッドデザイン賞を受賞。
(注3) ライフ : アメリカで発行されている写真を中心としたグラフ雑誌。撮影、記事、レイアウトなど編集を一貫させ、アメリカの思想・政治・外交を世界に発信している。
(注4) 金丸重嶺 : 1900-1977年。写真家、写真評論家、写真教育者。商業写真の草分け。現日本大学芸術学部の教授、理事、学長、そして日本写真協会副会長、日本広告写真家協会会長などを歴任。著書「写真芸術を語る」など。
(注5) ネルソン・R・マンデラ : 1918-2013年。南アフリカ共和国の政治家、弁護士。1964年、国家反逆罪で終身刑の判決を受けるが、27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。第8代大統領、南アフリカ共産党中央委員などを歴任。ユネスコ平和賞、ノーベル平和賞などを受賞。

2015.6.20

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