棚井文雄

ニューヨーク物語 8 「ハイブリッド写真作家 in NYC」

ニューヨーク物語8 「ハイブリッド写真作家 in NYC」

 ある日、彫刻家の斎藤誠治さんから電話が入った。斎藤氏といえば、ニューヨークでは言わずと知れた日本人アーティストである。「ナベさんが、ニューヨークで撮影のアテンドをしてくれる人を探しているので、誰かいい人を知らないか」とのことだった。ナベさんとは、渡辺澄晴氏(JPA名誉会長)のことであり、お2人は50年来の旧友だ。僕と斎藤誠治さんとの出会いも、渡辺さんが取り持ってくれた。
 渡辺さんがニューヨークに来る事は以前から知っていた。「日本から若いのを一人連れて行くが、20年振りのニューヨークなので現在のようすを知りたい」と何度となく連絡をもらっていたからだ。
 斎藤さんの言葉のニュアンスから、渡辺さんが本当は僕に頼みたいが言い出せないでいることは容易に想像がついた。しかしながら、氏がニューヨーク入りする数週間後には、僕は日本での展覧会を控えており、すでにハードな予定を入れていた。その為、一週間の全日程をアテンドすることは難しいと思った。気軽に引受けて、僕自身が体調を崩してしまっては、滞在期間の限られている渡辺さんの撮影に迷惑をかけてしまうからだ。

 撮影のアテンドは意外に難しい。僕も時折友人に同行を頼むのだが、波長が合い、勘が良く、忍耐力がある人と一緒に動くと、結果として “いい写真” が撮れている。同行者は、常に撮影者の視界を遮らず、カメラを構えた瞬間にはフレームの外にいて、そして安全の確保にも気を配らなくてはならない。言わば ”忍び” のようなものだ。単独で動く撮影にも理由があるので、全てがそうだとは言えないが、信頼出来る同行者がいることによって、撮影に集中出来ることも間違いない。
 これらを踏まえた上で、多少なりとも撮影の知識があり、きちんとした対応が出来そうな知人たちに、“旨いものを喰わしてくれるから”、と話を持ちかけてはみたが、他人の作品づくりの世話をする余裕はないと、ことごとく断られた。確かに、みんな大変な思いをしてここニューヨークで戦っている訳で、その気持ちも解らなくもないが、渡辺さんが日本の写真界にどの程度のコネクションを持っているのかを聞かれた時には(メリットがあるならやってもいい、ということ)、再びこの場所の現実を突きつけられた想いがした。しかしまぁ、これがニューヨークなのだ。
 僕だって、雑誌や広告の仕事を取るための、ポートフォリオ制作をする人にお付き合いする余裕などないが、80歳を超えた渡辺さんが、「最後のニューヨーク」と語って単身ここへやって来るのを放って置く訳にはいかない。これは、信頼するある写真編集者の姿勢から学んだことだが、”仕事であろうとなかろうと、受けたことは責任をもって完全にやり遂げる”、これが僕の信条である。その為の余裕がないと思いつつも、とにかく出来ることを精一杯やろう、そう自分に言い聞かせて僕がアテンドする旨を渡辺さんにメールで連絡した。

 ニューヨークJFK空港からは、タクシーでマンハッタンのワシントンスクエアへ向かった。ロングアイランドシティからマンハッタンに架かる橋をタクシーで渡る、それは、ニューヨークへやって来たことを実感出来るとてもすばらしい瞬間だ。渡辺さんも思わず声を上げたようすだった。広場の目の前にあるホテルにチェックインし、すぐに周辺を徘徊した。翌日も、早朝から夜9時まで、軽いランチと夕食の時間を除き、あとはずっとニューヨークの街を歩き回った。これを毎日続けた。
 食事の時には、写真界の裏話や、共通の知人写真家の話で盛り上がった。佐々木崑さんの話が出た時には、氏がお亡くなりになる数年前に、木村伊兵衛氏が歩いた下町を一緒に再訪したり、自宅にお邪魔した記憶などが蘇り、少しセンチメンタルにもなった。そんな時、渡辺さんは「もう一杯飲みなよ」とお酒を勧めてくれた。昆虫写真で有名な崑さんだが、もちろんスナップ写真の撮影も続けており、氏の中国、青島への撮影旅行に同行する約束を果たせなかったことは残念でならない。

 「俺は、ハイブリッド写真作家だ」と渡辺さんは言う。確かに、写真はハイブリッドなメディアだ。それはデジタル化されたことで、その意味合いを増したのかも知れない。しかし、渡辺さんのいうハイブリッドとはそれとは異なる。”生活の為に依頼された写真を撮影する職業写真家とは違い、生業の一部を年金で賄える自分は、何ものにも制限されることなく、自由に写真が撮れる ” 。その意味でハイブリッドなのだという。
 石を投げれば本当に写真家に当たるだろう、そう思えるほど、ここニューヨークには写真家がたくさんいる。ある人は、旅行者向けの宿泊施設を経営しているが、休日には写真を撮りに街に出かける。宿経営は趣味であって、職業は写真家としている。また、デジタル化によって誰にでも ”キレイ” な写真が写せるようになったいま、肩書きにフォトグラファーと追加するアーティスト、アーティスト志望者も多い。そんな中で、皮肉とユーモアを込めて、自身を「ハイブリッド写真作家」と語る渡辺さんは、何とも勇ましく潔いではないか。

 ニューヨークでの渡辺さんはとにかくパワフルだった。「日本へ戻ったら、50年目のニューヨークを写真集にまとめたい、展覧会を開催したい」と思いは熱い。「最後のニューヨーク」と語っていたが、翌日には「来年も来たい」、そして最後には「10年後、20年後のニューヨークも撮りたい」と言い出した。
 「ナベさん、来年も待ってますよ。」と、僕はJFK空港で渡辺さんの背中を見つめながらつぶやいていた。

2013.5.15


20年振りのワシントンスクエア

斎藤氏を撮影中の渡辺氏
© Fumio Tanai / HJPI320610000334

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