渡邉澄晴の写真雑科 8
20. アメリカでの最初の大仕事
ニューヨークに来て3日後にシカゴのコミスキーパーク球場に出張した。ここで行なわれる世界ヘビー級タイトルマッチ、チャンピオンのフロイド・パターソンと挑戦者ソニー・リストンとの試合を「リングの真上から5台のカメラで写したい」というUPI通信社の要求に応えるためだった。リングの各コーナーと中央真上、計5台に250枚撮りモータードライブをコードで並列に連結して、5台のカメラを一人で操作するという仕掛けである。アメリカでの最初の大仕事だった。
21. 入念な取り付け工事
世界ヘビー級タイトルマッチと云えば全世界が注目するボクシングの最高のイベントだから警戒も厳重だった。前試合の始まる1時間前までに取り付けを完了しろという指示に従って工事をはじめた。「試合中カメラが落ちたら‥レンズが抜け落ちないだろうか」などあらゆる事を想定して入念に取り付けた。
幸か不幸か試合はあっけなく、1ラウンド2分6秒でチャンピオン・パターソンがリングに沈んでしまったのである。翌朝の新聞紙上にノックアウトの場面、勝ち誇った挑戦者リストンの姿がリング上からのユニークなアングルで載っていた。その日の午後UPI通信社から感謝状が届いた。大きな仕事をやりとげた喜びと満足感にひたったひと時だった。
22. スピグラの終焉
「欧米人は不器用だからモータードライブを使うのだ!、1秒間3駒程度の連写では決定的瞬間は撮れない‥」などと言っていて、日本ではあまり使われなかったモータードライブだが、しかし、リング上から撮影したノックアウトシーンは「不器用だから便利な機械に頼るんだ!」と、答えているかのようだった。
東京オリンピックの前年、1963年に開かれたプレオリンピックでは、欧米のカメラマンたちは日本製の35ミリカメラを持ち込み、フイルムをバケツに入れて湯水のように撮りまくった。その様子を熟視した日本の関係者は、これからは操作性の悪い大きなカメラの時代ではないと悟り、スピグラはこの時をもって終焉となったのである。